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3月20日からFacebookを始めてから、すっかり其方にばかり気をとられて
本家のブログがすっかりと滞ってしまった。スミマセンm(__)m
この間、女優の坂口良子さんが先月の27日に、57歳で息をひきとったと
報道されていました。私は、1971年に「ミス・セブンティーン」に優勝したころ
の事を少し知っているので、彼女と直に接した出来事、聞いた事を書き留めて
おく気になりました。
坂口良子さんは余市に住んでいまして、余市町立東中学校に通っていました。その頃
坂口家に下宿していた職場の先輩がいました。その先輩に聞いた話では、〇〇さん
のコンサートに連れて行ってと頼まれ、その頃から芸能界にはそれなりの淡い期待
を持っていたようだと聞きました。
自分から進んで応募したのか第三者がしたのか分かりませんが、1971年の「ミス・
セブンティーン」のグランプリとなり、一躍脚光を浴びる身となりました。1978年には
松田聖子がグランプリになったことからもこの大会は芸能界の登竜門だったとも言われ
ていた時代でした。
なので、芸能界入りのお誘いが彼女に可なり有ったようで、「おにいちゃん」と慕われて
いた先輩に、将来普通の女の子で行くかそれとも芸能界に行くべきかとっても悩んだ
時があって、どうするべきか先輩に意見を求められたそうです。先輩からその話を聞
いた時、私は芸能界入りは「絶対進めるべきでない」と先輩に強く助言したつもりでした。
何故かと言いますと下の写真に有る通り、中学卒業頃の顔は全く純真無垢の顔立ちで
、当時私が持っていた芸能界は”どす黒い世界”であり、彼女はこの世界には馴染
まないし、普通の女の幸せを掴んで欲しいと真剣に思ったものでした。
確か積丹に職場の仲間とキャンプに行った時、坂口良子さんも来てくれて、大いに皆と
一緒に遊びました。その時綺麗な水着を着ていて、上手い泳ぎだったと記憶があります。
また、坂口良子さんの寝床の近くで悪ふざけをしていたら、「お兄ちゃん、止めて静かに
寝さして!」と一蹴されたことも覚えています。
兎に角、この頃はごく普通の女の子で芸能界はとは縁の無い存在に見えたのです。
ところが、歌手の
あべ静江さんのブログでは、この時既に、後の大女優としての貫録と
風格を漂わせていたというのですから、診立ての違いの様な感じで驚きました。
結果は、私の言った方向とは逆な道を歩むことになり、落胆しましたが、1972年4月に
「あこがれ/笹船は流れて」の歌手デビューした時はすっかり応援者に様変わりして
仕舞いました。なにせ、デビュー当時職場の先輩が宿直勤務時に坂口良子さんに電話を掛けると
今日の出来事を長々と素直に喋って、電話口で「デビュー曲を是非聞いて」と何回か歌ってみせてくれる
のです。
さあー、それからというものは過去の事はすっかり忘れて、無い金を叩いて、飲みに行っては「有線放送」
にリクエストしたような気がします。当然リクエストするのは我々のみで有ったようで、結果的にはこの歌は
ヒットせず、むしろそれ故にドラマや映画に出演しての女優業に転換したのは、強い必然性が有ったとも
言われています。歌は、シングル盤を6枚出しましたが、どれも上手く行かなかったようです。
その後、フジテレビのテレビドラマ
「アイちゃんが行く」で主演デビューしたのでした。
愛くるしい顔立ちと親しみ易いキャラクターで徐々に人気が出てきましたが、この人気が出てきた頃、
芸能界進出に関係したかは定かでは有りませんが彼女の両親の間に亀裂が走ったとの巷の噂を聞
きましたが、本当かどうかは分かりません。
その後も『たんぽぽ』『前略おふくろ様』『犬神家の一族』等人気作品に次々と出演。『池中玄太80キロ』
ではキャリアウーマンを演じるなど演技の幅も広げ、写真集ではヌードも披露するなど大人の女優への
転身を計ったとも言われています。
私生活の事は、皆さまの方がお詳しいと思いますので、ここでは敢えて書く必要が無いと思います。
とにもかくにも、彼女の波乱万丈な人生を振りかえり、最後の幸せそうな
”結婚パレードの映像”を見て、
長い間全力疾走で御苦労さまと涙がポロリと転げ落ちました。
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